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双極性障害と診断されるまで(前編)

高校の頃からすでにその気配はあったと思う。

気に入らないと高ぶりを押さえられなくなり、家の壁を蹴っ飛ばしては穴を開け、ドアを蹴破っては新しいものに付け替えるという、いわゆるモノに当たることを繰り返していた。

普通であれば、これは異常事態だと家族が気付き、当時はインターネットなど普及していなかったけれど、何となくはその原因を探ることはできたであろう。しかし私の異変に誰も気付くことはできなかった。

では何故気付いてもらえなかったのかといえば、家族が私に無関心であったという、ただその一言に尽きるだろう。

私が身を置いていた家庭環境というのは完全に崩壊していた。

父はお金がなくなると家に帰って来て母を殴り、生活費をもぎ取っていった。母はそのストレスからなのか、私たち(三人兄弟)に対して暴力を振るう。無視する、ご飯を与えられない、などとあらゆる虐待を受けていた。

ところが小学校6年の秋、母が男を作って逃げ出したのだ。それで虐待による痛みが無くなるかと思いきや、翌日から父親の愛人が家の中に入り込み、我が物顔で支配する。

家の中では存在をなるべく消すように、父には言いつけられた。ようするに我々子どもの存在が邪魔だったのだろう。

そうすると家の中で兄弟とすらよそよそしくなり、自分の部屋に閉じこもりがちになる。そして家の環境も手伝ったことだろう、登校拒否になるのだが、そのことすら誰も気付いてくれなかった。

家族の体をなしていない、不思議な一家だった。

おそらく鬱憤が溜まり、人に当たるというやり方を選択せず、モノに当たるというやり方を選んだのだろう。私は時々家の壁やドアを蹴って破壊するようになった。

20代の前半、SLEで入院している時、父から電話があった。「もう家には帰ってこないでくれ」「新しい部屋を用意したから」

退院した私は、1DKの賃貸へ追いやられる。今にして思うとこの独り暮らしを始めて何度か酷い鬱状態に陥った。けれど病気のせいだとは思っていなかった。ただの気分の落ち込み、だらしがないのでお風呂に入れず、食欲がわかないのもただの気まぐれだと思っていた。この時心の幅が鬱の方にしか振れていなかったのだろう。自然と暴力行為が収まった。

という大人しい日々をベッドの上で何年か暮したけれど、男に捨てられた母が私のマンションの近くに住むようになった辺りから、また暴力が復活した。

母の部屋にあった大きな絵の額を割る、食事を撒き散らす、投げつける、口汚く罵る。これに加え大きな買い物をやたらしたり、交遊関係も派手になった。

さすがに自分でもおかしいと、ようやく女子医大の精神科を受診したところ、「あなたは病気ではないから帰りなさい」と受診拒否される。その言葉を鵜呑みにした。

私はどうしていいのか分からなくなり、自殺を考えるようになった。どういうやり方で、どこで死ねばいいだろう?と頭の中がそのことで一杯になる。

こんな状態ではいけないと、仕事に就く。仕事を始めたことがきっかけとなったのか、徐々に心が平らになっていったのだろう。衝動的な行動を取らなくなったように思う。

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