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主人が倒れて4日目

主人が倒れても意外と何とかやっている。

ようするに息子のお弁当さえ作れば体裁を整えることができるので、ここは母親としての頑張りどころだと昨日の晩、今日のお弁当のために下ごしらえをしていた。下ごしらえといっても大したことではない、豚肉のみそ漬けを仕込もうと、準備していたのだ。

すると息子、私が料理らしきことをしているのをはじめて見るのだろう。興味津々というよりは、すごく心配そうな顔で私のすぐ横で事の成り行きを見守っていた。

息が止まってしまうのではという位、真剣に見つめ続ける息子。

ひたすらみそを丁寧に塗り込むしかない私。

「お母さんて料理できるんだね!」

輝き弾んだ感動混じりの声。

「お母さんもやればできるんじゃん!」

諭すような口調ときたものだ。

私は息子に何と返してよいか分からず、「ありがとう」と小さな声で意思表示するしかなかった。

息子が赤ちゃんの時期は私の調子が良かった時もあったので、離乳食を作ったりもしていた。でも息子が1歳を迎える頃、また徐々に鬱の氷に私は覆われていき、そしてここから約4年間辛く長い氷中生活を送る。

そして現在7歳の息子は年少位からの記憶しかないようで、残念ながら私が息子のためにご飯を作っていたという記憶がないようだ。

今回のインフルエンザ事件により、息子と私二人の生活になってしまっているためか、息子はいつも寝てばかりいる母親がテキパキしていることがうれしいのか、とても協力的な反面、今まで甘えられなかった分を取り戻そうとするように、沢山甘えてくる。

それに対して私は疲れて怒鳴ってしまうこともあるけれど、それでも『お母さんがお弁当を作ってくれる』『お母さんが遊んでくれる』『お母さんに勉強を教えてもらう』ということを楽しんでいるように見える。

さて今朝のこと、嵐のような天気になるという予報通り、お弁当を作り出そうと私が起きた早朝は大荒れであった。

息子は学校までバスで行くので、この天候では通常よりもバスに乗る人が沢山で、このおチビちゃんは乗り込めるのか?沢山の乗客でつかまるところが確保できず、車内で転んでしまうのではないか?と内心思っていた。

6時に息子を起こすと、まずシャワーさせる。

「自分でドライヤーできる?」「ううん、できない」仕方がないので乾かす。

「バス停までは付いていってあげるから、その後は一人で大丈夫そう?」「お母さんも一緒に学校まで乗ってってくれないと心配」私の方はお弁当作りで力を使い果してしまい、とても余力など持ち合わせていなかった。

ところが、さあ息子が学校へ向かうぞという時、嵐が静まり、鳥の声さえ聞こえる程度の霧雨に空の色が切り替わっていた。結局は天気が助けてくれて、豚肉の味噌漬けがぎゅうぎゅうに詰まったお弁当を持ち、息子は一人バスに乗って学校へと向かった。

さて今日は息子と何をして遊ぶんだろうか。

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