私の頭は納豆臭いですよ?
心の中で何度か、こんな風に世間をおちょくりながら、私は仕方なしに外出している。
というのも息子の習い事(絵画教室)があるために、息子の送り迎えをしなければならなかったからだ。
本当ならば家で布団をかぶってヌクヌクしていたい。
そう言いながらも2日風呂に入っていない頭と体で出掛けられているのは、そこまで鬱が深くない証拠だと思われる。
昨日の心身医療科の外来、担当医に言われた。
「おそらく、躁と鬱が同居している状態ですね」
「そういう時はイライラしがちです」
「リスパダール(安定剤)増やしておきましょう」
と話はまとまった。
医者というのは平たく言えば、特殊技術を売りに飯を食っている連中だ。我々はそれにすがる。ちょっと教祖と信者の関係に似ているような。
その中で精神科医というのは、ダイナミックに外科的な処置をするわけではなく、また繊細に内科的な病気を探るわけでもない。
あくまでも患者の話を聞いて、触診せず、先生の感じたままに薬を処方しているだけだ。
正直素人目には技に長けているか否か判断し辛い。
そんなあやふやな立場だからなのか、臨床心理士なんていう精神科医のバッタモノのような職業さえ生まれている。
ようするにこういうこと。『薬辞典片手に、誰だってできるんじゃないの?』というのが私個人の意見だ。
ところで先生が担当になって15年くらいだけれど、私はこの担当医のことを心から信頼はしていない。
女子医大に転院してすぐ入院になったことがあり、SLEとしての神経症状(幻覚、幻聴を含む)が出現する私なので、その時に往診に来たのが最初。
その後20代に数回入院したことはあったけれど、おおよそ体調は良好で毎朝弁当を作り(独身時代なので自分用)、フルで働いたりもできていたくらいだ。
心身医療科とは関係のない生活をずっと続けていたのだ。
実際に心身医療科の治療が始まったのは息子が生まれた後なので、つまりここ7年ほどの付き合いでしかない。
その担当医の懐に飛び込めきれていないのだ。
最もたる理由は、私が20代後半に精神のバランスを崩し先生のところへ助けを求めた時、「君は何でもないから帰りなさい」と追い返されたことだ。
今にして思えばあの時明らかに発病していたと思うし、他の先生に診てもらっていたら診断がついていたかもしれない。そのくらい、私の状態はグチャグチャだった。
病気を見つけてもらえなかった、そのことを根に持っているだけなのでは?と言われることを否定はしない。
しかし心の病気こそ、目に見えないものなのだから患者を邪険になどせず大切に扱ってほしい、と願う。
このままでは先生の機嫌や感覚だけで病気を決定される、それが精神病というジャンルではないか。
でもあの時、先生が私を追い返さず「病気ですね」と決め、精神科の薬を服用してしまったら息子は産めなかった。
あの時突っ返されたことは幸運だったのかもしれない。