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ピカタ

主人がインフルエンザに罹ったことがきっかけとなり、最近の私は毎日息子と主人のお弁当を作っている。

とはいっても台所に立つなんてことが5年ぶりぐらいなので、料理道具がどこにしまわれているのか、というクイズを解くことからはじめないといけない。

それでも段々と慣れてきたのか、料理をするリズムができてきているように思える。

ところで私には『野菜の肉巻き』を作るという目標がある。これはニンジンとインゲンを少しの塩で茹でて、それをコンソメスープの素を薄く塗った豚肉にクルクルと巻き付けて焼くという、とてもシンプルにして意外と工程を踏む料理だ。

私の感覚としては、この料理ができれば自分の心も体も正常値なのではないか、といわば目指しているところなのだ。

その肉巻きに明日いよいよ挑戦しようと思っている。

なぜかというと今日のお弁当は全て自分の作ったことのないものを料理本を見ながらではあるが、一応完成させることができたからだ。

作ったことのない料理を作るというのは、半端ないストレスがかかってくるものだ。

作り慣れている料理の場合、何度も作って頭の中に順序や塩加減や火加減など、叩き込まれている。

けれど作ったことのない料理の場合、まずは料理本を読むところからはじまり、読んだ文を頭で理解し脳みそに収め、想像し、それを恐る恐るアウトプットしなければならない。

緊張と不安の中、一か八かやってみるかと勇気を起こして行動する。

新しい料理を完成まで持って行けた時、レパートリーが増えるのは勿論、迷いながらもゴールにたどり着けた達成感、これにまみれること間違いないだろう。難事を自分の力で切り抜けたのだ。

さて今日私が作ったはじめての料理の中に『ピカタ』というものがあった。これは簡単に言えばチキンナゲットのようなものだろう。

まだ準備段階の買い物までできる精神状態ではないので、主人にあらかじめ鶏肉の必要なグラム数を告げて、買ってきてもらったのだけれど。

なんと私が必要とする重さの4倍にもなる鶏肉がドドンと冷蔵庫に鎮座していたのだ。

まあでも、その分調味料を4倍にすればいいことなのだが、一つ引っかかることがあった。それはお塩が『少々』と本には書かれていることだ。

確かに料理本通りのお肉の量で作れば少々なのかもしれないけれど、肉は4倍だ。

つまりこういうこと。少々の4倍って具体的にどのくらいのことなんだ?ということである。ここでこのピカタを作り慣れているのならば「こんなもんかな?」と迷いなく感覚で、料理を作るリズムを崩すことなく、作業をスムーズに進めることができる。

ところが私ときたら、応用が利かないものだから、「少々の4倍って、大さじ一杯よりは少ないよな?」「小さじ一杯よりは多いかな?」とおろおろ。

結局肉を漬け込むソースの味見をしながら塩を少しずつ継ぎ足したので、どの位の量を入れたという正確な数値は分からず。

何とかフライパンで軽い火傷を負いながらも焼いて形にし、お弁当に詰め込んだけれど、お味はどうなのでしょう?ととても自信がない。

しかしこんなに苦労したピカタも一応の完成を見て気分を良くした私は、さらなるレベルアップを夢見て、ついに例の料理を作ってみましょうか?という運びに相成りました。

私は明日、肉巻きを作ります(多分)。

だけどこの肉巻きだってだいぶ作っていないわけで、感覚も手順もすっかり忘れてしまっているはず。でもきっと脳みそのどこかに残っているリズムを探して、それを頼りに頑張ってみようと思う。

今の私は、100%鬱の時のように少しの失敗にめげたりなんかしないから。

すでに頭の中で肉巻きを作るリハーサルがはじまっている。決戦は水曜日。

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