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SLEと診断されるまで(後編)

与論島に着きさっそく海で遊び始めた私だが、初日の夜には高熱を出してホテルの人から大量の氷をもらい、それを頭だけでなく腋の下まで冷やし熱を下げようと頑張った。翌日はやく、島の診療所で診てもらうことになる。「栄養失調ですね」と驚く言葉が診療所の医者からは返ってきて、おそらく栄養補給用なのだろう点滴をされる。少し症状が治まったように思え、ホテルに帰ってしばらくすると、また高熱が押し寄せてくる。

私は旅を一緒にしていた友人に付き添われながら、再び診療所へ出向き、やはり点滴をされて状態は少しはよくなる。こうして2泊3日で遊びに行った与論島旅行はほとんど寝ているだけで終わってしまい、友人に迷惑を沢山掛けてしまった。

帰りの飛行機も、まともに歩けない私に航空会社が車イスを用意してくれ、なんとか飛行機内に収めてもらうと荒い息で羽田空港を目指す。羽田では事情を知らされていた友人の姉が車で待っていてくれ、遠慮せず後部座席に寝かせてもらった。空港から家までの記憶はない。家に着き転がるように自分のベッドへ服を着たまま歯も磨かず入った。

この時期、大学は夏休みなので授業もなかったこともありバイトは休み、家のベッドの上で与論島からの帰り数日間をやはり高熱の中で過ごした。心配してくれた友人からの電話には出ることはできたけれど、ベッドから起き上がれなくなっていた。

そういう状態が続き、ついに父親が私の状態を心配し、車で都立大久保病院まで乗せて行った。この時、あまり意識がしっかりしておらず、どうやって車を乗り降りし、病院内に入っていったかは覚えていない。ただ主治医が私の顔を診るなり「膠原病かもしれませんね」と言っていたことは、聞いたことのない未知の言葉として覚えている。

今にして思えば、SLE特有の蝶形紅斑が出現していて、血液検査も尿検査もなしに、言い当てることができたのだろう。私はその場で即入院となる。

3年半もの間、何人かの医者が私を診たけれど、誰も不調の理由を探り当てることができなかった。大きな病院で偉い立場にある医者、小さな町の医者、誰もが見つけることができなかった。最終的には明らかにSLEだとわかる蝶形紅斑を見つけた大久保病院の主治医が手柄を取ったわけだけれど、それまで何も気付いてもらえなかった。

でもはやく見つけてもらえたからと、別にこの病気は治るものではなく、不治の病であり、難病なのだ。

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