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仲直りの儀式

今日は学校の終業式。さあ明日から本格的に春休みだというのに、息子がお友だちの持ち物を間違えて持って帰ってきてしまった。

こういうのははやい段階で相手に連絡した方が面倒臭くならないのではないかと、いつもの私にしては随分と積極的に相手のお宅へと連絡をしたのだった。

「新学期に受け渡しということにしますか?」

「でも、それですとご迷惑掛かりますよね?」

結局夕方に駅で待ち合わせ、受け取ってもらうこととなった。

普通の精神の持ち主ならば、(そういう約束があるんだな)と心に留めておくだけなのかもしれない。でも私にはそれができない。

昼ご飯の片付けをする時にも、息子の二重跳びの回数を数えてやる時も、コーヒーを飲んでいる時も、とにかくいつだってこのことが頭に貼り付いている。

主人に任せればいいことなのかもしれない。でも自分が招き入れたことなので、私はそれをできないでいる。

待ち合わせは18時40分だ。はやめの18時20分に着く。そういう性分なのだ。人を待たせるのは嫌いだ。

相手のお母さまと息子の同級生がやってくる。

「お待たせして申し訳ありません」

想定内。

「こちらこそ息子が持ち帰ってしまい、大変失礼いたしました」

リハーサル通り。

「こちら、よろしければ皆さんでお召し上がりください」

「まあ、お気遣いなく。でもせっかくですから」

とこれも想定内。

こういう想定内の決まりきった会話でしかないのに、何故こんなに心がかき乱されるのだろうか。

それはおそらく、想定外を持ち出された時の対処の仕方が分からなくて立ち止まってしまい、つまり会話のリズムを途切れさせてしまい、再び会話のリズムを紡ぐことに勇気がいるところ、そこを恐れているのだろう。

変化に富んだ会話を望むというのは、精神が健康であるからこそであり、また精神が健康であるということはあらゆる方向からの会話に太刀打ちできるのではなかろうか。

ところが今の私には手入れされて冴えている会話術なんてなくて、ただ決まりきった形式の中での会話しかできない状態なのだと思う。

「春休みはどちらかお出かけになるんですか?」

想定外の質問だった。私は固まった。

すると息子が助けてくれるかのように「スキーに行くよ」と返答してくれた。

相手のお母さまは、へーと言った表情をしただけで、自分たちの春休みの予定については何も語らなかった。

(キャッチボールはなしなのか?)

私は想定外すぎる相手の反応に遭遇した。「それでは、失礼します」と会話の途中だったのかもしれないけれど、遮って帰ってきてしまった。

私にはもう、これ以上そこに立っている気力も体力も残っていなかった。

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