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アイスティー

ファミレスに一人で来た。平日の夕方だからか、お客が少なく繁盛している雰囲気ではない。

私は息子のおけいこごとのお迎え待ちで、仕方なく時間を潰しに来ただけだったが、案外この空間は居心地がよかった。

私の座るゾーンはたまたまそうなのか、一人で本を読む初老の男性、リタイアされた雰囲気のご夫婦が二人して読書しているテーブル、そして私の3組のみ。

私もここぞとばかりに本をカバンから取り出し、そして虚構の世界へ没頭する。

飲み物はアイスティー一辺倒。ドリンクバーだというのに、他の種類を考えるのが煩わしい。

溢れるほどの氷をカラコロとコップに落とし込み、それからアイスティーを注ぐ。

何となくグラスの中で茶色のグラデーションがせっかく作られたのに、そこにストローを容赦なく差す。

アイスティーは次へ次へと先を急ぎすぎる私の肩をとんとんと優しく叩き、落ち着かせてくれる。

双極性障害というのは時に急激に激昂したり下降を辿ることがある。

自分でもその動きが分かっているし感じていることなのに、ストッパーが現れないままあれよと究極の方角へ誘われる。

何故?どうして?どうして止めてくれないのだろう?どうして中庸を保てないのだろう。

そんなことを考えたって仕方がない。双極性障害とは、あのアイスティーのように私を穏やかに押し戻してくれる役目のものが、ぶっ壊れてしまっているのだから。

それとも他の飲み物をドリンクバーで注いでくれば、私がゆっくりと流れ出すのだろうか。いや、そうでないことは自分自身がよく知っている。

一度高ぶれば制御が利かないし、下がったものを無理に上げようとしても、いつまでたっても沈んだままだということ。

家族はこの波を理解してくれていて、ザブンザブンと一緒に泳いでくれるけれど、他人には理解されないだろうし、してもらおうとも思ってはいない。

面倒臭い噂を立てられて色眼鏡で見られ、社会には参加させてもらえず、孤独を強いられる、それだけだ。

だったらこちら側から社会を拒否した方がどんなにか精神的に楽なことか。

今私はアイスティーしか飲んでいない。それが私の飲み物であり、私らしくあるための飲み物であると信じているから。

私の目の前に座っていた初老の男性が会計のために席を立った。席には先ほどまで彼が読んでいた新聞が置かれている。そう、ゴミとして置いていってるわけだ。

そういう悲しいことを見るたびに私は「一人でいいな」と思ってしまう。相手の一挙手一投足に振り回されて、感情の針を右に左にと振りたくないからだ。

普通の人ならば、すぐに真ん中に針が戻るのかもしれない。でも私は双極性障害なのだ。なかなか戻すことができない。

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