昨日は息子が夕食前に魚を焼くグリルで火傷を負い、近くの救急病院へ行ったり、今朝は今朝で、同じ病院の皮膚科を受診したり(勿論息子の火傷のことで)、ここ15時間くらいはてんてこまいであった。
私自身病院の救急へ担ぎ込まれることはよくあることなのだが、『家族が』となると話は違い、まずもって勝手が違うわけで、気持ちばかりが先走ってしまった。
息子の火傷部分を冷やすことすら焦って的確に当てられず、主人に大声で叱りを受ける。動揺した自分をいつもの方向へ戻そうとするのだけれど、火傷患部を見てしまうと再びパニック状態に陥ってしまった。
そんな中でも主人が手際よく息子の身繕いをしてくれ、予約したタクシーに乗り込むと家からそう遠くない救急病院まで車を走らせる。
いつもだと自分は身を任せている立場だけれど、今日は違うんだ、しっかりしろと、自分自身を心の中で鼓舞する。
病院に着く。息子は火傷した場所がピリピリして痛いと訴えていたけれど、そこまで重症ではなかったのだろう。待ち時間に飽きて病院のフロアでふざけたり踊ったりしはじめた。
でもこの場所は救急患者の集まりであり、正直深刻な人も何人かいると思う。そういうこともあって、浮かれる息子を制する。
不満そうではあるけれど、ここは家でもなく学校でもなく、救急外来の待合室なのだということを息子には知らしめる。
1時間以上待ったかと思う。息子の名前が呼ばれ入室すると若い医師が待っていた。今日は皮膚科の先生が当直でいないということで、外科の先生が担当してくださった。
この病院に限って言えば、私が通っている女子医大よりも感じの良い先生が多く、昨日の先生もまたやはりそうであった。
息子に優しく語りかけ、私たち両親にもとても分かりやすい説明をしてくださった。一番には傷口の処理の仕方が鮮やかなほどにきれいであり、外科の先生なので慣れていらっしゃるのかもしれないけれど、包帯の巻き方は特に素早くあっという間に巻き上げていた。
この騒ぎの翌日である本日は、再び昨日の病院に来院。予約患者の合間を縫って診ていただけるということで、何時間も待つ覚悟でいたところ、ほんの10分くらいで呼ばれる。
入室すると、これまた優しそうな先生が待っていてくださり、柔らかな語り口、速やかな傷口の処理、私が皮膚科中心の病気であるならば、転院しているだろう、というほどに完璧な医師であった。
帰り道、私の主治医や他にかかっている科の先生方の顔を思い浮かべてみる。皆優しい先生ではあるけれど、今日の先生のように適度に人間らしさを残した先生というのはいない気がする。
診察とは人間と人間の対話なんだから、会話を滑らすために多少の人間臭さというのは、潤滑油になると思うわけだけれど。