三者面談の度に、いつも注意されるのは息子の言葉遣いの悪さである。
通っている学校が私立なので、言葉遣いの良い子どもたちが多いのだろうか。悪目立ちしているようなのだ。
「優しい子なんですけどね、言葉遣いが少し怖いので、お友だちがびっくりしています」
と担任の先生から何度注意を受けたことか。
では家での息子の言葉遣いはというと、そこまで酷く感じられず、一般的な小学校一年生とはこんなものなのでは?という程度に思う。
おそらく家では自分と同等の力で争う相手がおらず、興奮する場面も少ないからなのではと分析する。
でも私は学校での言葉遣いの悪さに思い当たることがあるのだ。
それは私が躁転して、感情の起伏が激しくなってしまった状態の時、特に主人とケンカを繰り広げる時に汚い言葉を使うからだ。
ところが主人はそんなことに動じないので、私に対しては特に反応しない。
そうすると私の怒りのメーターは増々上がり、自分の知る限りの罵詈雑言を並べ立てて、追い込もうとするのだ。
その光景を黙って見ているのが息子。
私だって息子に悪影響だとは勿論分かっているが、膨らんだ心は誰かが針を突くまで膨らみ続け、膨らむとその余白にまた新たな汚い言葉を思い浮かべて相手(主人)に投げつける、ということを繰り返す。
息子はそのやり方を黙って見ているのだ。
息子がどういう風に口汚い言葉でお友だちを驚かせているかは、具体的には分からない。
けれど私の躁状態が彼の言葉の汚さに関係していることは最早自明の理であり、かといって私も病気を止められないし、息子も私と家族である以上、私との関係を断つことができない。
一番には私の精神の状態が安定し、正常な状態で接することができるのが息子の言葉遣いの悪さを直す近道なのだけれど、如何せん双極性障害というのは現代の医療では完治する病ではなく、こうやって本人をはじめ周りの家族が最も振り回されるという、迷惑な病であるということ。
でも4月からは息子も2年生になり、1年生の頃よりも「これはいい」「これはダメだ」と自ら分別をつける力がつき、少しでも言葉遣いが柔らかくなることを期待する。
なお、ここで一筆断っておくのだけれど、息子は決してお友だちに暴力を振るうということはしない。それはおそらく過去の保育園時代にイジメを受けて痛い思いを沢山してきたので、絶対に手を出さないのだろうということも知っている。
とにかく息子も私も、言葉の暴力で解決を望むのではなく、他の方法で問題を解決できるようになりたい(息子もきっとそう思っているはずだ)。
双極性障害という病気を、薬で上手くコントロールできることが一番の解決策であるのだけれど、少しでもおかしいと感じたならば(本人に自覚がないので、家族に気付いてもらう)すぐに担当の先生に連絡を取ることである。