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入院時の出会い

入院をしていると、病棟の中が狭いという理由で、つまり物理的に距離が縮まることも手伝い、普段以上に砕けた人間関係を短期間ではあるが作ることがある。

私が、というよりは相手が急激に間合いを詰めてくるのだ。突然電話番号を渡されたり、若しくは連絡先を聞かれたりする。

そんな時私はというと、基本的に来るもの拒まず去るもの追わずの精神であるので、勿論断ったりしない。

こうして私と彼女(彼)とのはかない人間関係が成立し、相手が面倒臭いと感じるまでそれは続けられるのだ。

私からすると毎度同じような方法で、終わりが告げられることを経験として持っているので、辟易とした気分に密かになっている。

けれど熱くなった彼女(彼)からは、彼らの中で勝手に想像し構築された『私』というキャラクターになりきることを強要される。

はじめの内は私もそれを演じる。演じるというより、多面的であり奥行きもあるはずの私の一面だけを見せつけていれば、彼らはそれで満足なのだ。

でも例えば私が疲れてその一面を彼らの正面に持って来られなかったり、あるいは別の面を正面に持ってきてしまったりすると、途端に私への興味がなくなるのだ。

こういうことは日常生活の中でも起こり得ることなのだけれど、特に入院という特別な空間では起こりやすいと、私は感じている。

理由としてはやはり狭い空間から生じる異常に距離の詰まった人間関係がそうさせるのであり、入院中あんなに仲良くしていたのに、退院すると2、3度連絡を取ったきり、キャッチボールが途絶えるのだ。

これは「もう二度と会わないからいいだろう」という相手を敬わない、身勝手で失礼な態度に私からしたら思えるわけだけれど、彼女(彼)というのは平気でやってのけるのだ。

入院中に出会った人というのは、その時には親しい仲間なのかもしれないけれど、退院してみれば単なる他人、と気付くのだろう。

とは言え、普段の出会いの中でも、連絡先を聞いて聞きっぱなしというのは殊に最近などは感じられることなので、特段変わったことでもないのかもしれないが。

それでも私は入院時の出会いと別れにはある意味潔ささえ感じるのだ。

どうしてそんなに、簡単に人に興味を持ち、そして簡単に離れていくのだろう。

あなたからした私らしさを、今この時私が押し出せないとして、あなたは私を多面体だとは思ってくれていないということなのか。

私はこんなにも継ぎはぎだらけだというのに。

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