「おかあさーん、オセロゲームやろうよ」
息子がオセロに誘ってきた。
連日の体の酷使により、とうとう音を上げたようで、私は今朝起きることができなかった。
(普通の人だったら今頃子どもを連れて出掛けているのだろうか)
(普通の人だったら、お昼ご飯を作り食べて、一服しているところなのかな)
と、意味のない想像をしてみる。
生産性のない想像は、どれも私にとっては不可能な行動ばかりで、やっぱり私は布団の中で静かに寝ているのが、周りの人間にも迷惑を掛けないのだと、言い訳じみたことを思ったりする。
病気になる前というのはアクティブなタイプだったので、世間の人々がどういう風に楽しんで、そして仲間とそれを共有し、次の楽しみに繋げていくか、ということが分かる。
そんな時前向きな息子が部屋のすみからオセロゲームを持ち出してきたのだ。
「おかあさーん、オセロゲームやろうよ」
やるからには本気を出してしまう私で、息子を負かしてしまった。
「オセロの本を読んで勉強すればいいんじゃない?」
とは主人。
「読んでるよ!沢山読んでる。でも負けちゃうんだ」
「だったら下らない動画なんか観ていないで、オセロの動画でも観たらいいんじゃないの?」
「もう、いいよ」
「あーあ。どうせ僕は今まで誰にもオセロに勝ったことないんだからなー」
ふくれる息子。
すると隣に住んでいるカリンちゃんの大きな声が外から聞こえてくる。
「お母さん、今カリンちゃんの声が聞こえなかった?」
「聞こえたね」
「ちょっと行ってくるね」
息子はそう言うと制服のまま外へ飛び出して行く。
ものすごい変わり身の早さ。さっきまであんなにネチャネチャとオセロのことで絡んできていたというのに。
私も昔の元気な自分を標準にしたり囚われたりせず、息子のように柔軟に生きることができたら、どんなにいいだろうか。
でもそれができないでいる。
できないでいる理由はやはり、病気からの沢山の裏切りが私を厭世的にしているのだと思うのだけれど。
どうしても自分自身を信頼することができず、ついつい甘やかした方向、つまり病気が悪化しない方向へと導いてしまうのだ。
でも話はそれだけではなく複雑で、一番には家族に迷惑を掛けるわけにはいかない、というところだろうか。
外からキャーキャーと、カリンちゃんと息子の遊ぶ声が聞こえてくる。
息子はオセロで負けてすねているよりも、カリンちゃんと一緒に遊ぶ方が面白そうだからと、気持ちをさっと切り替え、そして行動に移したのだろう。
あいにく我が家は部屋が汚く、上げることができないと断ったけれど、それでも楽しく二人の声が響き渡る。