スポンサーリンク

告白 その1

私の両親というのは地方出身者だ。

7人兄弟の末っ子である父親は、先の戦争で両親を亡くし、3歳からは1番上の兄夫婦に育てられたという。

その家では常に兄の子どもと差を付けられて育ったようだ。

ご飯は家族とは別の粗末なものを与えられ、体操服は女子用のお古のブルマを着せられ、お弁当は日の丸弁当、新聞配達は小学生からやっていたようだけれど稼ぎの全ては搾取され、兄の子どもたち(私のいとこに当たる)は大学や大学院まで進学したようだけれど、父は高卒であった。

そういう苦しい差別体験が父を東京へ向かわせたのだろうし、また一旗揚げてやろうという精神を培ったのかもしれない。

父ははじめ中華料理屋さんで見習いをしていたらしい。そこでの経験からなのか、さらにその後の贅沢な暮らしの中で舌を鍛えたこともあるのか、父が作る食事は外で食べるものよりも細部に気を遣ったものであった。

その後外国客船でボーイをしていたようで、3年程オーストラリアに住んでいたという。「英語なんて忘れちゃったけどな」なんて笑って話してくれたことがあった。

それらの働いて貯めたお金の中から簿記の学校へ通ったようで、経営の勉強は独学、自分の会社を立ち上げたという。

その頃、まずは第1回目の結婚をした。

一方私の母親という人は、日本海沿いの雪深い地方に生まれ、家は美容室を経営していた(今現在も存在するらしい)。

とても商売の儲かっている家だったらしく、母の父親は働かずに外に女を作ったり、船を所有したり、狩猟を楽しんだりと贅沢三昧。

使用人が常に5人くらい住み込んでいるような、学校は車で送り迎えしてもらうような、そういう甘やかされた環境で育ったらしい。

甘やかされて育ったお嬢さんがろくな人間にならないのは明白であり、東京の短大(夜間)へ進学したのだけれど、これは父親の手引きによる裏口入学だったという。夜間の短大ということで、よほど勉強が苦手だったと思われる。

母もまた、この頃最初の結婚をした。

父親の結婚相手というのは、銀座のホステスだった。しかも相手は子持ちでの結婚。ところがこの女、結婚して数か月で自分の子どもを置いて、違う男と駆け落ちしてしまったらしいのだ。途方に暮れる父。

結局子どもは女の実家が引き取り、離婚という運びになったという。

母親の方は中学の同級生と結婚したようだ。この結婚もまた短く、1年ほどしか続かなかったという。そもそも夫に当たる男は地元にいるままで、母親は東京にいるし、完全別居状態。地方と違って東京には魅力的なものが沢山ある。

要するに母は、相手を捨てたのだった。

【お知らせ】息子(小2)がブログをやっています。→かっちゃんブログ
ランキングに参加しています。
にほんブログ村 病気ブログ 全身性エリテマトーデスへ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
スポンサーリンク

シェアする

フォローする