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告白 その8

母がいなくなり、私は暴力や暴言から解放される。

けれどこれといって私が劇的に変わるということはなくて、精神的には引き続き変化なく過ごしていた。

多少のことには心を動かさないように努める。中庸であるように心がける。

いちいち動かしていたならば、必ず心がすり減る。

誰かに教えられたわけではないけれど、そういうことを私は知っていた。

父はこの出来事以降、しばらくは家から仕事場へ向かっていた。

新しく家具を買い揃え、母に盗まれた金などどうという風でもなく、私たち子どもには贅沢な生活を与えたのだった。

朝、食卓に父がいるというよそよそしさを感じながら、私はパンにバターとジャムを塗り、口に押し込む。

無言のまま、優雅に餌を食う、そういう表現がしっくりくる。

母がいなくなった翌日、お手伝いさんと称する女が家にやってくる。化粧の濃い不潔な感じのする、おそらく父の愛人だったのではないか。メシのマズイ女だった。

父が彼女の作った食事を口にしたことでそれは発覚し、その翌日からはきちんと雇った家政婦がやってくるようになったけれど。

でも今にして思えば、家政婦なんて結局最後は皆同じだ。

私はきっと100人近くの家政婦を見てきたけれど、結局最後は皆、家の中の金目のものを盗んでいたし、現金も当然盗んでいた。誰1人常識人なんていなかった。

それはおそらく、父が家に不在であり、子どもだけで生活する家庭だったので、良心さえ捨てればやり放題だったのだろう。

父は母が出て行った最初の1週間ほどは家から仕事場へ通っていたけれど、すぐにホテル生活へと戻っていったのだった。

だから子どもの私は分かっていても彼女らの犯罪を指摘することができず、黙って耐えた。

そういう変化の激しい中で、私はいよいよ2月に中学の受験を迎える。

当然のように第1志望の学校へは受からず、なんとか第2志望には引っかかった状態であった。

10月に母が男を作って出ていき、家には常に泥棒をする他人がいて、翌年2月に受験。気が休まることもないし、4か月もない間にどうやって自分を立て直し、本番に持っていけるのか、甚だ疑問である。

それでも父は喜んでくれた。何故なら思うに父自身に学歴がなく、そのことで悔しい思いを沢山してきただろうから、せめて子どもだけでも、という気持ちが強かったのだろう。

その後も教育費に関しては惜しみなく出資してくれる親であったことは確かだ。そのことは感謝すべきである。

けれど父にとって子どもとは、単なるペットに過ぎなかったのだった。

そのための投資、教育費とはそういうことだったのではないか。

己ではもう時間が遅すぎてまとえない学歴。代わりに子どもに身に着けさせることで自分を着飾る、そういうことでしかなかった。

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