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告白 その13

父のことも母のことも勿論否定したい気持ちでいっぱいだった。

けれど特に父に関してはできなかった。

父がホテル暮らし中心とはいえ私たち子どもに衣食住を与え、一応は同じ屋根の下に住み日常生活に溶け込んでいる限り、彼を冷静に切り離して考えることができなかったのだろう。

母は厚かましいほどに預貯金その他を持ち逃げし、1人の医者の家庭を崩壊に追い込んだわけだが。

彼女の場合、自分の犯した罪の重さを感じさせない佇まいに圧倒されるばかりであった。

このような家庭状況からおそらく多大な影響を受けたのだろう。

私は通っていた中学を2年の夏休み前に自主退学した。

表向きは成績が落ちたから、ということになっていたけれど、今にして思えば神経が衰弱し、心が壊れそうになっていた、あるいは壊れていたからこその自主退学だったに違いないのだ。

私は心機一転、地元の公立中学から出直すことになった。

ところが学年の半分は同じ小学校出身であったため、当然のことながら「どうして私立に通っていたのに、公立へ転校してきたのか?」という嫌疑をかけられる。

あることないこと噂され、私の耳にも入ってくる。

そのうちクラスの誰からも口を聞いてもらえず、というより、関わりたくなかったというのが真実かと思われるが、とにかく学校へ行っても教科書を出さず、持参した小説だけ読んで帰ってくるような日々を過ごしていた。

でもそういう強がりのようなことも長続きせず、2年生の11月からは完全に自室へ引きこもった。いわゆる登校拒否である。

けれどこの登校拒否、家族の誰にも気づいてもらえなかった。父はほとんど家にいない、兄は高校生活が忙しそう、弟はいつも勉強ばかりしていて外界に興味がない。

唯一気付いていたとするならば家政婦であるが、でも彼女らはきっと、面倒臭いことに関わりたくなかったのだろう、父にその状態を報告するでもなく、私を空気のように扱い、気付いていないふりをしているようだった。

学校への欠席連絡は私自ら行っていたのだけれど、担任に問い詰められることなく、聞き流されていた。

今の教育現場でそういうことがなされているか否かは知るところではないが、当時は、いや、私の担任というのはそういう人間であった。

捉え方を変えれば登校拒否をしやすい環境であったとも言える。

とにかく日中は布団をかぶり気配を消し、兄や弟が帰ってきたころに何食わぬ顔をしてリビングに登場する、この繰り返しを半年ほど続けたのだった。

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