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告白 その14

高校2年の夏休み、父に沖縄の宮古島へ誘われる。日程的には丁度剣道部の合宿が終わった後であり、稽古もないし空いている。

兄は相変わらず学校が忙しいらしく、この旅にも不参加で、弟と私の二人が参加を表明した。

私は高校受験でも中学受験同様、第2志望の学校に引っかかり、けれど部活生活も充実していたし、友だちもできて、それなりに高校生活を楽しんでいた。

父は相変わらず松本ちづると付き合い、その一族の図々しさも増し、この宮古島旅行にはちづるの姉までもが付いてきていた。

ところが高校生になった私は、ちづるにはじめて会った中学生の時のように幼くはなく、テレビや本、時には友だちとの会話の中から知識や常識を学んでいた。

だからこの女がどれだけ愚かで、またその一族もどれだけバカバカしい人たちなのかということが分かっていたので、彼女たちが旅行に付いてこようが、何ということはなかった。

いや、何ということはないように振舞えた。冷静を装うことができた。

一方弟が何を考えているかは本人に聞いたわけではないから分からないけれど、おそらく父親の暴力を恐れて従順になっていたのだと思う。

父は兄と弟には気に入らないと暴力を振るっていたのだ。おそらく私は、女だからという理由でそれから逃れていたけれど、家では暴力が蔓延していることは確かだった。

さて、この宮古島旅行の時、私は17歳の誕生日を迎えたばかりだった。だからなのか、ちづるが私にピアスをプレゼントしてくれたのを覚えている。バースデイカードもきれいな字で綴られていた。

けれど私の学校は、ピアスや化粧を禁止する学校だったので(大抵の高校は校則でそのように決まっていると思われるが)、つまり一般常識から考えてピアスという贈り物は高校生には相応しくない、ということになる。

なのにちづるは私にピアスを送ってきた。苦笑いするしかなかった。

確かに私は校則を犯してピアスホールを3つ作り、ピアスでおしゃれすることを楽しんでいたけれど、大人が堂々とそれに加担するというのには呆れたし、常識のないバカな人なのだと、密かに蔑んでいた。

ちなみにちづるは自称ではあるが27歳だった。

ということは私と10歳しか違わない女と、父は付き合っていることになる。

娘と年齢が近い女とセックスする気持ちが私には分からないけれど、異常だと感じていないからこそできる仕業なのだろう。

そうやって父を軽蔑しつつ宮古島へ付いていく私も、松本ちづると何ら変わらないのかもしれないと、今になって気付くわけだけれど、私にとっても父は金づるでしかなかったと思う。

それより何より、この旅行で一番楽しそうなのはちづるよりも見目形がだいぶ劣る、ちづるの姉ではなかっただろうか。

その醜い容姿では恋人もできるわけがなかろうし、沖縄の宮古島なんておそらく、自力では行ったことがなかったし行けなかったのだろう。

父は私にとっても松本一族にとっても大事な金づる、気前のいいオジサンでしかなかったと思う。

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