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告白 その15

父と松本ちづるが別れたのは私が高校3年生の時だった。

その頃彼女が「いつもベッドで寝てばかりいる」ということは父から聞いて知っていた。

ちづるは父の金で借りたマンションの一室に住んでいたのだけれど、そういう状態だと掃除は勿論行き届いておらず、風呂に何日も入らないだとか、とにかく動かないのでブクブクと太った醜態をさらし、父が来た時は迎えられるのだという。

「アイツはもう治らないな」父がそう誰にというわけでなく呟いた言葉を、私は耳の中に今も残している。

ある晩のことだ。晩といってももう夜中といわれる時間帯、1時とか2時頃だった。

家の門が開く音がした。そしてしばらくすると、1階のどこかの部屋の窓をドンドンドンドンと大きな音で叩く音がしたのだった。

何事だろう。受験勉強のためにまだ起きていた私は、異常事態を察知して父の部屋がある階下へと舞い降りていく。父は、大丈夫なのだろうか?胸騒ぎがした。

すぐさま1階にある父の部屋を覗くと、そこには窓を眺めるように、楽しむように立ち尽くしている父と、窓の向こう側で、鼻水を垂らしながら顔をグチャグチャにした松本ちづるのガラス窓を叩く姿が視界に入ってきた。

「パンダー開けてよぉ!」「ぱんだぁー、ぱんだぁー!」父のふざけた愛称を大きな声で連呼し、泣きじゃくるちづる。

一方父はというと、そういう彼女を無言で眺めるだけだった。私からは父の背中しか見えなかったけれど、でもそういう父の背中に、彼の本性を見たように思えて身震いがした。

結局父は窓を開けることなく、諦めたのかちづるは帰っていった。

その後、ちづるは父の会社の前で待ち伏せするなど、常軌を逸したやり方で父の心を取り戻そうと必死だったらしいが、父としては外見が汚らしくなってしまったちづるはいらなかっただろうし、もうすぐ30歳を迎えるちづるも必要なかったのだろう。

彼女は29歳になっていた。

若く美しい、おもちゃになる女がほしい、父はそれだけだったのではないか。

父は東京の多摩にある、新しめの都営住宅を与えることでちづるの行動を封じたようだ。以後、松本一族が私たちの前に現れることはなくなった。

そこまで都心から離れたところに封じ込められると、もはや都会まで出てきて反撃をしてやろう、もっとしゃぶりつくしてやろう、という闘争心が奪われるのか、ちづるは二度と姿を現さなかった。

若い良い時代を捧げたのに、公営住宅をあてがわれただけとは釣り合いが取れないと思うけれど、そういう計算もできないほどちづるは狂っていたし、その家族もまた、使いものにならなくなった娘を捨てたのだった。

父にとって女性は自分を着飾るための宝飾類でしかなくて、その輝きを失った途端に道端にころっと捨ててしまう、そういうことでしかなかったのだ。

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