高校は大学の付属高校であり、父親はそのままエスカレーター方式で上の大学へ入るのだと考えていたらしい。
ところが私は全くそういう気持ちがなかった。そもそも学校へ行っても授業は聞かずに、指定カバンの中は小説だらけで、授業中はその中から好きな本を選んで読んでいる、そういう高校生活であった。
当然のことながら成績は振るわないどころか、高校2年生の夏休み前に担任に呼び出された時、学年で2番目に成績が悪いと伝えられたくらいであった。
かといって夜遅くまで遊ぶような感じでもなかったので、明らかな悪さの指摘をできるわけでもなく、担任の先生は正直扱いに困っていたのではないだろうか。
そして私はそうやってオロオロする大人の反応を見て楽しんでいたように思う。
とにかく結果として上の大学に上がれないらしいし、元々それを志望したわけでもなかったので、私は高校2年生の夏から受験勉強に着手することになった。
父に予備校に通いたいとお願いした時、すんなり金を出したので、私はてっきり附属の大学へは進学できないという状況を理解しているのかと思っていたのだけれど、ホテル生活がメインだからか、全く把握していなかったようだ。
高校3年。3者面談の時にそれは起こった。
私は私なりの志望があり、そうしてそのことは担任ともよく話し合っていたので、後は父親がこれを受け入れるかどうか、ということだった。
でも何れにせよ、附属の大学や短大へは内申が足りなくて進学できなかったし、そうすると他大学受験というのが当然進むべき道だと思っていた。
だいたい高校3年生のクラスは『他大学受験』のクラスであり、明らかに上への進学を何らかの理由で放棄した集団だったのである。だから当然父もそのことを受け入れているとばかりに思っていた。
ところが3者面談、父は私の志望を聞いて固まっているのがよく分かった。父は何も知らなかったのだ。
その場では「はいはいはい」と壊れたように相槌を繰り返していたが、家に帰るなり、私は父に殴られた。そして蹴飛ばされ、大理石の玄関に転がる。
何と喚いていたか分からなかったけれど、人間の言葉には聞こえない、怒りに満ちていることだけは確かな、激しい声で私を蹴りまわした。
私は身の危険を感じ、外に出て公衆電話を探した。そこから担任に電話を掛けて、助けてほしいと頼んだ。そういうことならば先生の家にすぐに来なさい、と言ってもらえたのだけれど父が私を見つけ、公衆電話から引きずり出されて家に連れ戻される。
怒りにまかせて暴行する父。耐える私。兄も弟も誰も助けてくれるわけではなかった。
明日は我が身、そういう思想めいたものがこの家の子どもには植え付けられているからだろう。