大学は結局数校受かったのだけれど、第1志望の学校には通えなかった。
受からなかったのではない、通わせてもらえなかったのである。
第1第2共に合格していたのに、いざ受かってみると「世間的に聞こえが悪い」ということで、父が言うところの聞こえが良い第2志望の学校へ手続きをすることになった。
確かに出資者は父であるし、それに逆らえば暴力でねじ伏せられることは分かっていたので、私は大人しく諦めたのだった。
自分を消し諦める癖、というのが長年の母や父との生活の中で培われていたのだろう。あまり悔しいという気持ちにはならず、ただ怒りを鎮めることが先行するのだった。
かといって悲観していたわけではない。こうすることしか選択肢がないのだ、と諦めとも違う、とにかく父が絶対王政であった。
さて大学生活が始まって少し経ってからのある日。母親と二人で居酒屋で飲んだことがある。大学近くの、繁華な街の居酒屋で酒を一緒に飲んでいた。
この頃の私と母の関係というのは、変わらず元子ども、元母ではあったけれど、生活を共にしていないからか、そこまで母のアラが気にならなかった。
なのでこうして2人だけで酒を飲みに行くということは割と頻繁にあったように思われる。
勿論、母にされてきたことは忘れるわけがなかったし、忘れられるわけもなかったわけだけれど。
その居酒屋で、酒に強いはずの母が珍しく酒に酔い、そして上機嫌に話し出したのだった。
「私ね、ユウコちゃんから原を取り上げたかったのよ」
「誰それ」
「ああ、ユウコちゃんて、原の一番上のお嬢さん」
「で?」
「私と原がまだ一緒に住んでいない頃、横浜の駅で別れた後にホームへ上るじゃない。そうしたら向かいに原とユウコちゃんがいたのよ」
「それで?」
「私はそれを見て憎くなったのよね。だからユウコちゃんから原を絶対に奪い取ってやるんだって、その時思った」
こういうことだ。原医師と母が横浜で逢瀬を楽しんだ後、原は戸塚にある自宅へ、母は東京にある自宅へと、それぞれ帰る場面なのであるが、ホームが向かい側だった。
そして原は娘と待ち合わせて帰ろうとしていたようで、親子でホームに立っているところを母が目撃してしまう。
その時母は、まだハタチにもならぬ娘相手に嫉妬し、しかも実の娘と知りながら嫉妬をし、必ず彼女から父親を奪ってやると心に決めたというのだ。
話を聞いていて、母の思考のおかしさに気付き、私は酒をあおるしかなかったのだけれど、母は勿論私の気持ちに気付くわけもなく、朗々と語るのだった。
おそらく私が母と頻繁に会っていたのは、それでも心のどこかで母に母親らしさを求めていたからなのだと思うけれど、この件で私は母を母だと思えなくなったのだった。