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告白 その19

私が膀胱炎にはじめてなったのは大学1年の春、ちょうど涼太との距離が縮まった辺りである。その後不定期に繰り返され、病院に通うようになる。

おそらく体が、我慢を強いられてきた心が、これ以上は持たないと私にサインを送ってきていたのかもしれない。けれど私はこれをサインだとは思わずやり過ごしていた。

さて涼太との付き合いが長くなってくると、段々と彼の生活自体を私が金銭的に支えさせられるようになる。

はじめは私が耐えればいい、そういう風に気付かないふりをしていた。

ところがそうすると段々と彼の要求が大きくなっていくのであった。洋服を買いたい、レコードを買いたい、友だちと酒を飲みに行くのに金がない、その度に私が出資する。

いい加減に私も我慢の限界というものがきてしまい、涼太にお願いをした。もうこれ以上はお金が出せない、自分でどうにかしてほしい、と。

すると涼太の目は三角になり、そうして私は頬を殴られ、足を蹴飛ばされて床に倒れた。

「お前の家は金持ちなんだから、これぐらい出したってどおってことねーだろ!」

悲鳴に近い声で涼太はまくし立てた。

私は、それまで母や父から散々暴力を受けてきたので、この程度の暴力に負けたくなかったし、また何とも思っていなかった。

暴力を振るわれている時はそれは恐怖だけれど、暴力はいつしか止む、そのことを知っていたからである。

「ごめん」

しばらくして涼太が謝ってきた。私はそれを受け入れる。

以後、これがきっかけとなってか涼太は少し気に入らないことがあると私を恫喝して金を巻き上げ、それでも気に入らない場合は体に暴行を加えたのだ。

普通ならばこの時点で逃げ出すのだろうが、暴力に満ちた家庭環境で育ったために、暴力行為に対して甘いジャッジしかできないのか、私はいつまでも涼太から離れられないでいた。

金がなくなると暴れて金を巻き上げる、という手法は私の父親そっくりであったし、とにかくいつかは暴力行為が止み、謝罪の言葉すら聞かされるのを知っていたし、やはり涼太もまたそういう人間だった。

単純な人間ともいえるだろう。故に、暴力さえ振るわせればノリのいい、外見もカッコイイ自慢の恋人であった。

ただ一度だけ、命の危険を感じたことがあった。それは大学3年生の時だ。いつものように涼太の部屋で2人して過ごしていた時のこと。

理由は忘れてしまったけれど、涼太が私にキレたことがあった。

ここでいつもだと殴られたり蹴飛ばされたり程度なのだけれど、この日の涼太は台所から包丁を持ち出して、そして私を追いかけ回したのだった。酒が入っていたのかもしれない。

6畳一間の中をグルグルと逃げ回ったかと思えば、じっと対峙しあう。

この悪夢のような空間は時間にして数分でしかなかったのかもしれない。けれど私にとっては数時間の格闘に感じた。

背中にヌルっと汗が流れる。

突然涼太が間合いを詰めてくる。私は怖くなってしゃがみ込んだ。

すると涼太が私の眉間に包丁の先端を押し付けてきた。

「殺してやる」低い声だった。

私は咄嗟に涼太のお腹を蹴り飛ばし、体勢を崩して寝転がる彼の腹めがけて思い切り蹴りを連発していた。

そして玄関にある自分のスニーカーを手に持ち、ドアを開けて出る。

アパートの横に止めてあった車に素早く乗り込むと、裸足のままでエンジンをかけ、アクセルを踏んだ。夢中だった。

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