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告白 その39

井坂さんと私は交際から入籍まで1年も経たずに結婚をした。

というのも井坂さんも私も、住んできた環境は格段に違うのだけれど、性格が似ているというか、大切にするものが似ていたのだろう。

とにかく交際期間というまどろっこしいものが、単なる時間の無駄遣いに思えてならなかったのだ。

恋愛は駆け引きを楽しむべきだ、なんていうのは若い頃の話であろうし、それに私たち2人はもうそれなりの年であった。

恋愛期間に2年も3年も割いていたら、子どもが生まれるのは一体いつになるというのか。それは計算上、優に高齢出産ゾーンと呼ばれるラインを超えることになる。

そういう意見は合致していたのかもしれない、交際期間半年にはもうプロポーズをされたし、私も返事を勿体ぶったりせずに、その場で即答したのだった。

こうして合理的な考え方を好む私たちは、赤ちゃん作りも計画的に行う。

もっとも私の病気があまり妊娠出産を推奨しているわけではなかったので、病院の管理下、妊娠可能な時期を示され、それが結婚3か月後であった。

そして主人が健康であり、私も元々が丈夫にできているからだろうか、妊娠を許可されてから5か月でお腹に命を宿すことになる。

私は人並みに悪阻を経験し、日に日に育つお腹の中の子どもを想像し感じ、幸せな日々はしばらく続いた。

ところが妊娠8か月の時、突然破水し、女子医大へ運ばれることとなる。

早産になりかけていた。

医師は

「なるべく長い時間お腹の中に留まっている方が赤ちゃんのためにはいいので」

という意見であり、破水後6日間安静を保ち、赤ちゃんを外界へ晒さないように努めた。

ようやく生まれてきた赤ちゃんは体重1434gの男の子であり、体はとても細く、少し触れば折れてしまいそうな、はかない命に見える。

小さすぎてまだ外の世界に出られない息子は保育器に入れられた。

そういう息子を見つめながら私は、自身が人間として乱暴に扱われてきた分「この子はたっぷりの愛情をもって沢山抱きしめてあげよう」と祈りに近い感情があふれてきたのだった。

ところが息子が超未熟児のために2か月ほど入院していた後半に、私はアキレス腱を負傷してしまい、息子を抱きしめることさえ絶望的となる。

これがまさか他人に育児を委ねる生活の始まりだなんていうのは、この時思いもよらなかったけれど、私はとにかくなるべく早い快復を願った。

そして息子の唯一の母親でありたい、と多くの母親が抱く願いをやはり持っていた。

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