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告白 その41

「土日は赤ちゃんに会いに行くから大丈夫だよ」

と主人は乳児院へ預けることに抵抗がないようだった。

しかし私は最後まで賛成できなかった。

アキレス腱は確かにケガをしているけれど、重病人というわけでもなく意識ははっきりしているし、それに一番にはやはり、赤ちゃんを取り上げられ、他人の手によって育てられることに抵抗があったのだ。

さらにこの問題について相談した役所の職員までが「赤ちゃんの頃の記憶なんて残らないから大丈夫ですよ」などと言い、私はますます信用ができなくなる。

はたして本当に赤ちゃんの記憶というのは後に残らないのだろうか。

乳児院へ預けたことにより愛情不足となり、後に影響が出ないのだろうか、そんなことを心配したし、何より手元に赤ちゃんがいないことがとても心配であった。

それはおそらく正常な母親ならば誰でも抱く感情なのだと思うのだけれど。

結局入院できる乳児院までは決まっていたのだけれど、ギリギリまで私が抵抗したことによって主人も考え直し、その話はなくなった。

ところがなくなったはいいけれど、では具体的にはどうやって生活を回していくかという問題が相変わらず片付いていない。

そこで思いついた苦肉の策とは、私の母親に息子の面倒を見てもらうことだった。

実は義母が息子の面倒を見ていてくれた時、全くもって義母だけで面倒を見ていたわけではなく、母と義母で交代して見ていたのだ。

それを、私の母1人に任せるということ。

けれど高齢であるが故に2人で交代しながら息子を見守っていただけに、はたして私の母1人で息子の子守が務まるのだろうか。

ちなみに私はこの時、母のことを『無給の家政婦』だとしか思っておらず、私たちに家族としてすり寄ってくる彼女にはうってつけの係ではないか、としか思っていなかった。

何の感謝もしていなかった。

今にして思うともしかすると義母に対しても連動させてしまい、同じような感情を持っていたかもしれない。

でもとにかく、そういう思いだろうがどういう思いだろうが息子のことを生かさなければならないし、それからどんな手段を使ってでもとにかく手元に置いて育てたいという、母親としての意地のようなものが私の中には存在していた。

結局、あくまでも家政婦という感覚で私の母に引き続き1人で頑張ってもらうことにしたのだった。

血の繋がった家政婦、その彼女に育児全般を半年間だけお願いすることにしたのだった。

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