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告白 その42

アキレス腱のギプスが取れるまで半年かかった。

その間私は家事全般を実母にお願いすることにする。

もちろん実母は断らなかったし、断れるはずがなかった。

今となっては原医師に捨てられ独りぼっちであり、かといって次の男をひっかけるほど若くももなく、外見もそれなりである。

つまり私たち子どもに寄生するしかない立場の女であった。

その立場を利用して、私はまんまとただ働きの家政婦として母を雇い入れることにしたのだけれど、正直お金を払って他人を雇ったり、義母にペコペコと頭を下げ、気遣いしお願いして来てもらうよりは遥かにマシであった。

というのも母は罪滅ぼしのつもりなのか、文句も言わずによく働いてくれるからだった。

彼女のやってきたことを考えれば、期間限定で家事をこなすことなど何てことはないだろうし、実際私たち3人家族が住む駅から一駅しか違わないところにアパートを借りているため、通うことに問題もなかっただろう。

もっとも我々の住まいのすぐそばに、実母がわざわざ住んでいるということをはじめて知らされた時、虫唾が走ったものだが、こうやって家政婦として利用するにはほどよい距離感であり、大抵のワガママを聞いてもらえたので助けられたことは事実である。

とにかく「罪滅ぼしの場を与えてやろう」という、そんな気持ちであった。

それでも食事作りはなんとか私がやっていたので、それ以外のことはほとんどこの家政婦にお願いしていた。

自分たちの口に入るものをこの女には任せられない、というプライドのようなものもあったのだろう。

信頼関係というよりは、無言の圧力を掛けていた。

これ以上ひどいことをすれば、お前のことを捨てる。

捨てられたくなかったら働け。

そうして母も捨てられたくない一心でか、私に気に入られるように機嫌を伺い、甲斐甲斐しく働いた。

半年が過ぎ、いよいよケガが完治する。そうすると私は自分で動けるようになり、母という家政婦の力を頼らなくても家事ができるようになり、彼女は用済みとなる。

ようやく息子と主人そして私の3人での暮らしを遅ればせながらスタートさせることになった。息子は7か月になっていた。

ところが数か月経ったある日、布団から体を起き上がらせるのが困難となる。

寝不足のような倦怠感であり、気力がないというよりも、もう寝ていること以外の他の動作を忘れてしまったかのように、とにかく起き上がれなくなった。

主人が心配し、精神科を受診することにする。

程なくしてついた診断名は『鬱病』であった。

以後何年もの間、鬱状態の中で過ごすことになり、そしてこの状態こそが、私の真の病気を覆い隠し誤診を招き、私を私たち家族を苦しめることとなるのだった。

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