双極性障害と診断されたのは、鬱病と診断されてから1年半後のことである。
診察の時に何気なく話した躁のエピソードを担当医は見逃さなかった。
もしかして鬱の薬がいまいち効かないのは双極性障害という別の病気だからかもしれない、と言い出したのである。
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私は20代後半で調子が悪く、精神科へ駆け込んだことを思い出していた。
今から思えばあの時明らかに躁状態だったのだろう。
ところがこの担当医は「何でもないから帰りなさい」と突っ返していたわけだけれど、あの時もう少し私の話を真面目に聞いてくれていれば、早い発見ができたのかもしれない。
けれど一方で20代後半で診断されていたら、結婚はできなかっただろうし、息子を産むこともできなかっただろう、と偶然に感謝したりした。
つまりこういうことだ。
担当医は医者としては三流なのかもしれないけれど、彼が三流でいてくれたばかりに、主人にも息子にも会えた、ということになる。
感謝すべきというか、恨むべきというか。心中は複雑である。
以降薬の種類は鬱病治療のものからガラリとかわり、双極性障害を躁の方に振れ過ぎたりせず、鬱の方に振れ過ぎたりせず、中庸な状態を保つような薬へとシフトされた。
決して即効性はないけれど、徐々に効いてきた感じにはなり、半年後、1年後、2年後と時が経つにつれ生活を取り戻すように、できることが段々と増えてきた。
今現在、鬱状態の頃からは考えられないのだけれど、息子の習い事の送迎ができる程度にまで状態がよくなっている。たまにお弁当を作ることもできる。
けれど家事全般は相変わらず主人が行っており、このまま主婦として復帰できずに人生を終わらせるのではないか、とも危惧する。
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本当のところ、主人も息子もこういう私のことを厄介者と感じているのかもしれないけれど、SLEにせよ双極性障害にせよ不治の病であるということ、それらを申し訳ないが家族3人で背負って生きて行かなければならないということ。
有難く思っているつもりなのについ衝突をしてしまうこともあるし、息子ももっと母親に甘えたい時があると思う。
でも心がコントロールできずに寝たきりになってしまったり、疲れやすくてやはり布団で寝ていることが多かったりする。
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息子は小学校2年生なので、そろそろ私が横たわっている意味を理解しているのだけれど、小さな時は大変だった。お母さんととにかく遊びたくて仕方ないのだから。
でもその時期は脱し、息子も協力的になった今、今こそ根絶できない病気ではあるけれど再燃を招かないように、私は私のペースで生きて行くしかないのである。